むずいものを描く方法。
銃はむずい、とおもう九九さんです。
まあ、こんなもんだろうと、終わりのない戦いも見えてきて、結局、グアムにでもいって、乱射魔にならないと、エアガンは持ってても、実銃を見たことがないからむずい。
まーむずいといいながらも、むずいなりにできてんだ。へへへへへへへっへっへっへ
あれだぜ、他のブログはしらんけど、俺のブログは、むずい><だのなんだの言って、描けなくてもしかたがないよねーとか、そんなことない!上手だよ!みたいな言葉を一切求めてるわけではない
描いた結果、難しい物は難しいんだと、ハッキリ述べる所に魅力を感じてほしいものだ。
というか、対象物の複雑さ=難しい。のではなく、描写対象の立体的把握と、写術力の有無が、描くときに難しいだの簡単だのが発生する要因になるんだ。
結局のはなし、人を上手く描く方法てのは、つきつめると、人体図になるわけであって、二次絵に関しては、こんなやつ実際に歩いてたら多分気持ち悪いとおもう。
人物画はまあもう、個人個人の平均的な価値観から逸脱していなければいいだけであって、簡単にいえば、こいつは人だ!とわかればその絵における人物画の課題はクリアしている。
難しいのは、そこで既存のものや、高いクオリティを求められるようなものを描く場合、例えば家という抽象的なものを描く場合はサザエさんのEDのような絵でもいいんだけど、国会議事堂を描けとなったばあい、国会議事堂の特徴をとらえながら、そのものを書かないと成立しない。
だから、みんなむずいとおもうわけだ。
むずいものを書く方法は、対象物に近づくように頑張る、特徴を捉えてシンプルに構成する、これ以外にない。
これは全てのことに言えることであって、対象物に以下に近づくかによって、クオリティのアップを図ることが出来る。
まーむずいな、むずい言葉を並べて文章をむずかしく作ってんだこれも。
簡単にいえば、ブログで下手な絵上げて、文章で言い訳するんではなく、出来るまで頑張る。
世間がバカだから評価されないんではなくて、自分が下手だから評価されないとおもって、邁進することが、むずいものを書くことが出来る方法だろう。