楽しい楽しい北野映画のお話と松本映画の違い、そこに浅いお笑い論
最近楽しい、変態的な会話を真面目にできるという環境がこんなに楽しいなんて思いもよらなかった。
いやそりゃワシは男子校出身なんで、エロエロ野郎の低俗人間ですが、そーいう会話ではない、
まーあれやな、次の漫画のキャラ設定、今度はドンパチ物や。こわいこわいヤクザがいっぱいでてきよるで
実は萌豚かとおもったら、やーさん映画が死ぬほど好きなのである。
首領への道も全部みたし、仁義無き戦いなんてなんかい見たかわからん。
北野映画も何回も何回もみてる、男としての生き様がかっこいいのか、ワルモンがぶちのめされるのがかっこいいのか、
今更だけど、龍三と七人の子分たちを語りたくなった、コメディ映画の中でも屈指の面白さだと思う。
なぜ松本人志がコメディ映画で失敗して、今更北野武がここまで面白いものを作れてしまうのか。
昔みんな~やってるかという北野映画があったが、信者の俺でやっと笑えるレベルになるほどの、世間一般で言う面白くない映画だった。
そもそもテレビのお笑いとは、副音声の笑い声で笑いが誘発される洗脳ちっくな物で構成されている、ミスタービーンとかを思い浮かべていただけたら簡単だろう。
昔やってた、ごっつええ感じという番組でもそういうのは多用されていたが、あれは純粋に面白かった。副音声のおかげで笑うタイミングが分かりやすく、コントも面白いので誰でも笑えるすごいコントの応酬であった。
でもその後、ザッサーとかみたら、副音声の笑い声が無くなってる。大日本人やしんぼる、さやざむらい、r100、全部になかった。
映画にそういうものつけるのは間違ってるとは思うけど、多分、松本人志もそういうのいらんからっていう発想に至ったのだと思う。
そのせいで皆がついてこれないんだろうな、俺もついていけないけど。
北野映画の龍三と七人の子分たちの場合は、芸人ではなく俳優さんたちがコメディをすることによって、先入観なく、そして間が完璧で笑える構成になっている。あれが芸人で構成されてたら、辛いものが出来上がっていただろう。
龍三と七人の子分たちの場合は、つられ大笑いする部分はすくないが、滑ってるところはない、さすが浅草のコント師というところ、
間が良ければ誰でも笑えるんだなーって、間が悪かったり分からなかったら笑えないんだろう。
んで次書く予定の漫画は
かなーりコミカルかつバイオレンスなヤクザ物にするけど、短くまとめれる話を絶賛考え中。でも色々他にやることあるから忙しい忙しいやで。